
Mongolia-Japan Joint Research Project on Archaeological Sites related to Genghis Khan (“Shine Zuun” New Century Project) チンギス・ハン関連遺跡の日本・モンゴル合同調査(通称「シネ・ゾーン(新世紀)プロジェクト」)
新潟大学超域学術院
モンゴル国 アウラガ遺跡 |
2001年〜2006年 | 基礎研究 |
2011/12/01 |
新潟大学超域学術院
モンゴル国 アウラガ遺跡 |
2001年〜2006年 | 基礎研究 |
2011/12/01 |
巨大国家誕生のナゾを解く鍵
13世紀初頭にユーラシア大陸の東西にまたがる巨大国家「モンゴル帝国」を建てたチンギス・ハン。彼が本拠地としたのがアウラガ遺跡である。モンゴル帝国の最初の首都ともいえるこの遺跡は、現在の首都ウランバートルから東南約250km、ヘンティ県デリゲルハーン村の草原の中に残っている。この遺跡は、ナゾの多いチンギス・ハンの勃興と、モンゴル帝国の成立過程を解明する上で重要であると考えられているが、これまでほとんど調査・研究がなされてこなかった。
変わりゆく草原の国
アウラガ遺跡では、近くに集落や景勝地があるため、自動車が遺跡内を未秩序に往来し、そのわだちによる遺構の破壊が深刻化していた。それだけではなく、近年のモンゴルでは石炭やレアアースといった地下資源開発が進み、GDPも年率で前年度比10%ほどで推移するという発展をみせている。国民の生活水準は徐々に向上しているが、貧富の差が大きく、インフラ整備も不十分で、文化事業にまわす財政的余裕はない。さらに、文化財保護は後回しにされるだけでなく、鉱山採掘や道路整備が優先されて、貴重な遺跡がつぎつぎに破壊されているのが現状である。アウラガ遺跡付近にも石炭や石油が埋蔵されている可能性が高いということで、開発計画が議論されている。アウラガ遺跡の詳細な研究と、保存の方策をたてることが焦眉の課題となっている。
多国籍チームの編成
この調査は、文字資料が少なく謎の多いチンギス・ハンと、モンゴル帝国の成立の背景を考古学的な物的資料から実証的に解明しようという目的から開始された。メンバーは新潟大学とモンゴル科学アカデミー考古学研究所が中心となっており、ほかにもこれまでに日本の10あまりの大学、さらにアメリカや中国の研究者も参加している。
研究・保存・普及の一体化
活動の中心は発掘調査であるが、保存や普及活動にも力を入れている。チンギス・ハン時代の遺構を調べて、入念に記録し終わると、破壊を防ぐ策を講じて、元通り埋め戻している。これは、気候が厳しいモンゴルでは遺構を露出させておくと、深刻な破壊につながるからである。遺跡の範囲は1200m×500mと広大であるが、2007年に日本の外務省による草の根文化無償資金協力によって、遺跡全体を囲む鉄製フェンスを設置することができた。これにより無秩序な自動車の往来を妨ぐことができた。同時に遺跡に近接して、モンゴル政府の援助で博物館を設置した。アウラガ遺跡の出土品を展示して、遺跡の概要と意義が一般の人びとにもわかるようになっている。また、村の小学生を招いて青空教室も開いている。次世代を担う子どもたちに遺跡の正しい理解と、愛護精神を学んでもらうためである。
心のふるさと
アウラガ遺跡での最大の成果は、チンギス・ハンの霊廟を発見したことである。この霊廟は彼の死後、その霊魂を祀るために建てられたものである。これは現在、中国内モンゴルにある「成吉思汗陵」とよばれている聖地の前身と考えられている。チンギス・ハンはモンゴル民族の英雄であり、そのアイデンティティの表象でもある。その霊廟は民族の「心のふるさと」だといってもいいであろう。さらに、遺跡周辺には、チンギス・ハンの生涯を語る上で欠くことのできない遺跡が数多くあり、他にも伝説や当時と変わることのない大自然と伝統的な遊牧生活が残っている。
歴史・自然・伝統の一体化
私たちのプロジェクトでは、モンゴルの政府や研究者と緊密な連携をとりつつ、このような歴史・自然・伝統が一体となった文化遺産として、アウラガ遺跡と周辺地域の保存整備活動を進めている。同時に、モンゴル民族だけでなく、世界の人びとに発信していくにはどのような方策を採るべきか、日夜思案しているところである。幸い、アウラガ遺跡は、モンゴル国の最重要遺跡に登録され、さらに、ユネスコ世界遺産の国内リストに登録されることになった。今後は、さらなるステップアップを目指し、ユネスコ世界文化遺産への登録も視野に、取り組みを一層強化していきたい。