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ベイティン(べテル)遺跡における考古学的調査および観光資源開発

Archaeological Excavations and Development of Resources for Tourism at Beitin (Bethel) ベイティン(べテル)遺跡における考古学的調査および観光資源開発

慶應義塾大学

パレスチナ自治区

ベイティン遺跡

2012年〜継続中 地域開発,基礎研究,人材育成,意識啓蒙・普及活動,マスタープラン作成,保存修復
2014/04/01
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BACKGROUND背景

「金の子牛の聖所 」-北王国イスラエルの国家神殿

ベイティン遺跡
 本プロジェクトの対象となっているベイティン遺跡は、パレスチナ自治区ラマッラ の北東8㎞、エルサレムから北に19㎞ほどに位置する複合的な考古遺跡である。人口わずか2000人程度の小さな村の中に銅石器時代から始まるテル(遺跡丘) 、谷沿いの墓群、ビザンツ時代以降の塔をともなう遺跡(ブルジュ・ベイティンと呼ばれる)、貯水池、前近代の農耕設備群などが散在している。そのため、紀元前3500年頃から約百年前までの、この地方の歴史を概観することができる。

ベイティン(べテル)の町の重要性
 特に青銅器時代から鉄器時代のこの場所は、旧約聖書にしばしば登場するベテルの町だったと考えられ、聖書の世界や信仰を理解する上で欠かすことのできない貴重な遺跡である。ここはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の始祖となった族長アブラハムやヤコブ が宿営した場所で、特にヤコブは梯子を上り下りする天使の幻を見たり、イスラエルと名前を変えるよう神の指示を受けたりした。イスラエル王国 が南北に分裂すると、この場所は北王国イスラエルの国家神殿となり、「金の子牛」が置かれたとされている。エルサレムにあった南王国ユダ の神殿と対立するためである。その後もバビロニア捕囚 から帰って来た人々の共同体が形成されたことが記録されており、ビザンツ時代には巡礼地として発達した。現在これらの宗教を信じる人々は、世界の人口の半数以上を占めており、多くの人々の関心の対象となり、観光客が来ることが想定される。

ベイティン遺跡の位置(左) ベイティン村における遺跡の分布状況(右)

ブルジュ・ベイティンに残る塔

ACTIVITIES活動内容

パレスチナ自治区における考古学的調査、観光開発の再開

これまでの調査と保存
 このような重要性から、本遺跡は20世紀の前半にすでに注目され、W.F.オルブライト やJ.ケルゾーによって発掘された。ただ、これらの調査や報告書は質が低く、その後50年間の考古学の発達を考えると不十分なものと言わざるを得ない。しかも、パレスチナ自治区では、1948年のイスラエル国設立、パレスチナ自治区の実効支配以来、考古遺跡の調査、保存はほとんど完全に停止してしまった。しかし、近年パレスチナ自治区の政情は比較的安定してきている。自治政府は2011年にUNESCO加盟を果たし、ベツレヘムを世界遺産に登録したりシェケム遺跡 を国立公園にするなど、考古遺跡を用いた観光産業開発を積極的に進めようとしている。

パレスチナ観光考古省と慶應義塾大学の共同プロジェクト
 ベイティン遺跡における調査・開発プロジェクトはこうした流れに呼応するものであり、パレスチナ観光考古省 と慶應義塾大学による共同作業である。2012年度は、まず現地との関係づくり、散在する遺跡の地形図作成、分布調査、地域共同体の意識啓発活動などをおこなった。その結果、テルの北側には一段高いアクロポリスがあった可能性が示され、ブルジュ遺跡にもイスラム時代に至る複数の時代の居住跡が確認された。村の南側にある谷は、60基以上の墓からなるネクロポリスとなっていたことがわかった。2013年からは、ブルジュ遺跡及び谷の墓域で発掘調査を開始した。谷は、紀元前2000年頃(中期青銅器時代Ⅰ期)から紀元1世紀頃(ローマ時代)まで墓地として使用されていたことが確認された。また、ブルジュ遺跡では、切り石による壮麗な門とモザイク床によって飾られたキリスト教施設やマムルーク時代の住居跡などが出土した。

テル・ベイティンにおける表面調査の様子

ワディ・タワヒンに散在する横穴墓の例

RESULTS結果

観光資源としてのベイティン遺跡

期待される調査成果
 本プロジェクトはまだ始まったばかりであるが、今後発掘調査が進展することで、遺跡の性格がさらに解明されるものと期待される。特に、族長ヤコブの聖所や北王国イスラエルの神殿がどのような性格のものだったのか、という点は問題の核心である。また、そうした出来事を記念する巡礼地や礼拝堂がどのように発達したのか、イスラム侵攻以降この地域の歴史はどのような経緯をたどったのかを知ることも重要である。さまざまな時代の墓も、それぞれの時代に形成された共同体の性格を知る上で興味深い。

ベイティン村の観光資源開発に向けて
 本プロジェクトでは、以上のような調査成果に基づき、ベイティン村全体を遺跡公園化することをめざしている。2013年度には、パレスチナ自治政府観光文化大臣を迎え、パレスチナ自治区観光考古省、ベイティン村役場、慶應義塾大学の3者で観光開発に向けたコミッティーを設立した。今後、このコミッティーを中心に戦略を構想する予定となっており、観光パンフレットの作成、案内看板の設置、遊歩道の整備、町の中心の古い建物を生かしたビジターセンターの設立などが考えられている。また、今後長くこれらの施設を地元共同体が管理運営していくため、小学生に授業の一環として調査に参加してもらったり、村の人たちが登場するパンフレットを作ったりするなどの意識啓蒙活動も行っている。

ビジター・センターとして使用予定の建物の前に並ぶ調査隊員

発掘されつつあるブルジュ遺跡の門

MAP地図