初年度の調査は、石蓋木棺墓というパルミラで初めての最も古い、ヘレニズム期の金製の装身具を多数身に付けた中年男性を葬った墓であった。この墓は、パルミラの都市や家族墓の成立など葬制とパルミラ社会を考える上でも重要な課題を提供し、パルミラ研究に新たな1ページを加えた。だが、この墓は我々の目的とした2世紀の地下墓のような家族墓ではないために、新たにE号墓という地下墓の調査を実施した。この地下墓は石材による内装を施さず、遺体を収めた棺棚も少なく、地下墓の中でも下位の階層であることが理解でき、地下墓の階層性を知る手掛りとなった。
平成14年にはH号墓という地下墓の調査を開始した。この墓はタイボールによるA.D.113年の建造が、門の碑文より判明した。墓室には胸像が棺棚小口にはめられ、さらに家族饗宴像をあしらった3基の石棺がコの字状に配された壁龕が設けられていた。これらの彫像は損傷がなく、パルミラの饗宴彫像では唯一頭部がすべて存在し、今後の考古・美術史学的な研究に役立つと思われる。また、現代の飲料水の化学分析を通して出土人骨の歯の茶褐色化がフッ素によることを確認している。
平成15・16年には、H号墓の埋葬施設である棺棚の発掘と出土した人骨・遺物の調査も実施した。この調査によって地下墓における副葬品と死者の関係や古代パルミラ人の死後世界への観念が解明できつつある。さらに遺体の性差・年齢による埋葬方法の相違、遺体の病理や乳児の死後の扱い等も解りつつある。パルミラ人の墓への観念が、個別孤立した世界ではなく、墓の碑文の「永遠の家」を象徴するごとく、生きる者と常に共存する世界であるということが、理解できてきた。さらにこの4年間の調査をとおして墓室の内装に使用されている石材の寸法から構造を組み立てる一定の尺度の存在が明白になりつつある。またこの2基の地下墓の調査によって墓の放棄と譲渡が水害および都市再建に起因し、地下墓から次に家屋墓が出現する一つの契機となると考えるようになった。
パルミラの葬制とその社会的背景にかかわる総合的研究
- 事業名称
- パルミラの葬制とその社会的背景にかかわる総合的研究
- 実施地域・国
- シリア・アラブ共和国
- 対象とする文化遺産の名称
- パルミラ遺跡
- 地域
- 中東
- 文化遺産の分類
- 考古遺跡
- 事業実施機関
- 奈良県立橿原考古学研究所
- 期間
- 2001年 ~ 2004年
- 協力の種類・事業区分
- 学術調査・研究
- 資金源
- 科研費