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騎馬遊牧民文化の起源と発展の研究

Study of the Origin and Development of Equestrian-Nomadic Culture 騎馬遊牧民文化の起源と発展の研究

創価大学、三菱財団

モンゴル国

オラーン・オーシグ山周辺の遺跡

1998年〜1999年 基礎研究
2009/03/01
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BACKGROUND背景

社会的背景

 ユーラシアの歴史の中で常に重要な役割を果たしてきた騎馬遊牧民の起源は、いつごろ、どこに求めることができるのか。この問題を考古学調査によって確かめたいと考え、草原考古研究会のメンバーは、1980年代末から中央ユーラシアの草原地帯各地を訪ね回ってきた。それまで中央ユーラシアのほとんどの地域は社会主義圏に属し、西側諸国の研究者が現地調査をすることは不可能であった。しかし時あたかも中国では改革開放政策、旧ソ連ではペレストロイカが始まり、西側研究者との共同調査が現実のものとなろうとしていた。我々はユネスコ=シルクロード調査や、科研の様々な調査に参加しつつ、調査相手国を探した。

調査遺跡の選定

 経巡った中央ユーラシア諸国の中で、モンゴル国は騎馬遊牧民の遺跡が最もよく保存され、数も多いのにもかかわらず、まだあまり調査が進んでいないことがわかった。またモンゴル国は、社会主義時代に旧ソ連や東欧諸国と共同調査を多く経験しており、外国の調査団に対する偏見や違和感を持っていなかった。対日感情も悪くはない。以上のような諸条件を考慮した上で我々はモンゴルを調査国として希望するようになった。そして1997年に私費で遺跡選定のための調査旅行を行って調査遺跡を絞り込み、1998年に三菱財団から助成金を得るや、最終的に遺跡を選定してモンゴル側と協定を結ぶに至った。

鹿石を調査中の草原考古研究会メンバー

ACTIVITIES活動内容

遺跡の概要

 我々が調査対象に選んだのは、ウランバートルから北西へ約600km、フブスグル県の中心ムルン市から西へ約20kmにある、オラーン=オーシグ山周辺の遺跡である。この山は直径7~8kmの独立丘で、山の周囲に遺跡が多数分布している。これまでモンゴルでは遺跡の立地、分布状況に関する調査がほとんど行われていないので、我々は発掘に先立って分布調査を行った。その結果、山の主として東側と南側に、積石塚や鹿石からなる10の遺跡群を確認することができた。

遺跡の発掘

 我々は、山の南東に位置する遺跡群で発掘に着手した。まず遺跡群の中では中規模の積石塚と、図像がよく残っている鹿石の周辺を発掘した。積石塚を選んだのには理由がある。一般的に、ある地域で初めて王権が成立したことを示す指標として、巨大な建造物が使われることが多い。それは集団的な労働力を必要とすることから、その労働力を管理する権力の存在が想定されるからである。またどこからでも目立つ記念碑的な建造物は、初めて生まれた王権を広く知らしめるためには有効な手段であった。とくに王その人と直接結びつく王の墓は、その大きさが王の偉大さを示す装置としての機能を果たした。さらに遺跡群内での古墳の大小は、社会的序列を示すものと考えられる。草原地帯でも積石塚は同じ機能を果たしたのではないかと考えたのである。

オラーン=オーシグ遺跡の鹿石

RESULTS結果

1999年の発掘調査の成果

 1999年の調査では積石塚本体に手を着ける余裕はなかったため、それを取り囲む21基の小石堆のうち5基を発掘したところ、そのどれからも鼻面を東に向けた馬の頭骨と頸椎が発見された。また、鹿石周辺の小石堆を数基発掘したところ、そこからも同じく鼻面を東に向けた馬の頭骨と頸椎が発見された。従って、積石塚を造営した人々と鹿石を立てた人々とは、同じ文化に属していたと推定される。このことは重要な意味を持っている。というのは、積石塚については従来その年代が必ずしも確定されていなかったが、鹿石はその表面に刻まれた短剣や動物文様などの図像から前1千年紀前半に属することがわかっているので、積石塚の年代もほぼ同じ時代と推定することができるようになったからである。

その後の調査の継続

 その後、2003~2006年に科研費で調査を継続し、積石塚が墓であること、積石塚を取り巻くすべての小石堆と鹿石周辺の小石堆に馬の頭骨と頸椎が埋納されていることを確認した。従って、我々の発掘した積石塚の被葬者には、21頭の馬が犠牲として供されたことになる。この積石塚はそれほど大規模ではないが、モンゴルには1600基以上の小石堆を伴う大型積石塚がある。前1千年紀前半は、まさに草原の古墳時代と言うことができよう。しかし、鹿石の周辺には小石堆以外に長方形石敷など、意義不明の遺構が発見されている。鹿石の意義、年代のより正確な決定など、今後解明すべき課題は多い。

鹿周辺の小石堆中に発見された馬の頭骨と頚椎

MAP地図