Column文化遺産コラム

文化遺産の「ヒト」

危機的状況の中、 希望の光を消さないために

2017年10月10日

インタビュー 西藤清秀

奈良県立橿原考古学研究所 技術アドバイザー

文化遺産国際協力コンソーシアム運営委員会 委員
専門は西アジア考古学。現職研究所の副所長、付属博物館長を経て現在に至る。1990年から2011年までの22年、シリア・パルミラに毎年赴いて墓の発掘調査や修復・復元事業に従事してきた。

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こんなニュースが!

過激派組織ISによるパルミラ遺跡の破壊

数千年の時を経て残存してきた遺跡があっさりと破壊されるという事態。20年以上研究を続けてきた私も、過激派組織ISによるパルミラ遺跡破壊という衝撃に言葉を失いました。ただただ大きなショックを受けたとしか言いようがありません。そして、破壊より前に “パルミラの父”ハーレド・アサッド氏※(右の写真、一番左)が殺害されたという知らせに激しいショックを受けました。

※ミスター・パルミラの異名を持つ生涯をパルミラ研究に捧げた第一人者。2015年に過激派組織ISに拘束され公開処刑により殺害された。それに対し世界各国から非難と哀悼のメッセージが発せられた。

私はパルミラで二つのお墓を復元するプロジェクトを行いましたが、復元したお墓も強奪に遭いました。それ以前から盗掘の被害はありましたが、今回の強奪はパワーシャベルなどが使われ、もはや大々的に行われています。なぜ強奪が起こるかといえば、主として生活のためです。陸の孤島であるパルミラは遮断されると生活の糧に乏しくなる。そこでお金になる文化遺産を狙うというわけです。

そうなんだ!

シリアの人々との繋がりや研究の蓄積を守ること

シリアをはじめとして西アジアの人々は日本人への共感の気持ちが強いと感じます。彼らはあくまで自分たちをアジア人だと思っていますから。確かに昔からの歴史的な繋がりはヨーロッパ人が強いのかもしれませんが、最終的にはなぜか我々日本人を選んでくれる。そういう経験を二十年近い発掘・修復作業を通じて何度もしてきました。ですから、私たちは彼らのことを忘れないということが大事です。「私たちを忘れないで。それが励みだ」と言われたことがありますがその言葉を胸に刻んでいます。そういう意味で、西アジアの人々は欧米とは違った視点で日本を見ています。日本人が想像する以上に、日本政府やコンソーシアムの発言を注視していますね。

保護ってどんなもの?

2つの地下墓の修復

  • H号墓修復・復元作業風景

私は1990年から2011年までパルミラの発掘・修復を行っていました。その間、地下墓を2基修復しています。ちなみに一つは奈良県の支援。もう一つは住友財団からの支援でした。まだその頃コンソーシアムは設立されていませんでしたね。地下墓の修復とは、大まかに言って、お墓を掘る、補強する、出た彫像を元あった場所に戻すなどの活動です。その時、修復には二つ方向性があります。「できる限りオリジナルと同じ素材と同じ雰囲気で再現する」のか「あえて修復した箇所が分かるようにしてオリジナルと修復後の差異を明示する」のかです。

パルミラで修復した地下墓の1基目は、いかに忠実に美しく修復するかをテーマとして行い、2基目は、発掘そのもののプロセスが分かるように修復しました。崩れたところは危険がない程度に崩れたままにしたりしたんですね。修復して一般に見られるようにするということ自体が、一種のエンターテインメント要素を持つわけですが、発掘の奥深さや修復にも色々と考え方があることを知ってもらうきっかけになったと思っています。

コンソーシアムを語る

危機的状況の中、希望の光を消さないために

シリアのように危機的状況になった時、どうやって現地の研究者や関係者を守るのか、文化遺産的価値に興味のない人々をどう教育するのか。地道に検討する必要があると思います。難民がいずれ故国に復帰した時のことを考えても、観光資源が存続しているのかどうかは経済的にも大きな差違があります。そういったことをコンソーシアムを通じて訴えたいと思いますし政府にも働きかけができればと思います。

遺跡だけでなく伝統的な技術や文化も同様です。ダマスカスのシルクや金属加工など、シリアには各地域に実に多様で多彩な技術がある。その技術を捨てて難民になっている人も多いのです。そういった人々を支援すること、無形の遺産である伝統文化を守る活動をコンソーシアムからも働きかけたいですね。

それから、日本での西アジアの研究を継続するための活動が必要です。このままではいずれこれまでの研究の蓄積も忘れられてしまうのではと危惧しています。報道ニュースで中東地域のことを聞かない日はありませんが、危険な地域であり、異常な文化圏であり、現地にも入れないという情報だけが支配的になると、研究意欲を持つ人は減っていくでしょう。大学や行政の研究機関もなくなって、西アジア文化を研究する人が30、40年後にはいなくなるのではないか、という懸念も決して大げさではありません。

なぜ今の研究を?

砂漠にもお墓の発掘にも慣れてたんです

  • 129-b号墓調査時の一場面

私は特に西洋史や東洋史をやっていたわけではないんです。元々はアメリカのアリゾナの大学で研究をしていました。パルミラに行くことになったのはたまたま偶然です。当時奈良県が行ったシルクロード博覧会でパルミラの遺物を借りて展示していたのですが、終了後にそれを返却することになった。それをきっかけに発掘調査も行うと言うことで、樋口隆康(京都大学文学部教授/奈良県立橿原考古学研究所所長/シルクロード学研究センター所長)所長から声を掛けていただいたのです。私が、橿原考古学研究所で古墳を発掘していたのでお墓は得意だろう、アリゾナにいたから砂漠も慣れているだろう、という理由だったと思います。ただ、それもあながち間違ってはいません。発掘調査というのは苛酷ですからね。海外やアウトドアでの活動に慣れていたのでついて行けたのだと思います。

この文化遺産、我が人生!

南の島にいるような幻想パルミラの夜

生涯の遺跡というとそれは言うまでもなくパルミラ遺跡です。数千年前から連綿と続く歴史に彩られた地域、そこに屹立する大規模な遺跡。それに初めて出会った時の光景はいまでもはっきりと覚えていますよ。砂漠地帯、正確には岩石砂漠の土漠地帯ですが、ダマスカスから向かっていくと、ちょうどナツメヤシの林の遙か20kmほど前方に遺跡の突端が見えるようになります。

パルミラで寝入ろうとした時聞こえてくるのがまるでさざ波のような音。砂漠の夜風にナツメヤシが揺れてサラサラとまるで水のような音を出すんです。そこに、軽やかに太鼓を叩くような音が響く。正体は畑に水を蒔くポンプの断続的なポンポンという音です。眼をつむっていると南の島にいるような錯覚に陥るような、とても不思議な居心地の良さ。

もちろん目が覚めると、そこは厳しいむき出しの土と岩の環境です。砂漠の夜の美しい一夜ですね。

さあ次はどこ行こう

パルミラの研究を私は続ける

今後の活動としては、まずパルミラ遺跡が復元できるようデータを今から集めておくことです。もちろん、実際に修復や復元を行うかどうかの判断は、その時に現地のシリア人が決めることです。とにかく、私はいつその時が来ても復元ができるよう、できることから取り組みたいと思います。

それから現在は、パルミラ人の足跡をバーレーンで調査しています。パルミラ人の中には、バーレーンで島の役人として比較的高い地位にいた者もいると考えられていますが、私はきっとバーレーンのどこかにパルミラ人のお墓があるはずだと考えています。パルミラはフッ素と蛍石の含有量が高い地域なのですが、バーレーンでは蛍石はそれほどでもありません。それを手がかりにして、紀元前1500年前の人骨の発掘が可能になれば、きっと当時のパルミラ人を調査することができると思います。私にとって、パルミラの研究は終わっていません。

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