なぜブータンか、なぜ法整備か
ブータンの文化遺産
ブータンには、標高差によって多様に変化するおおむね手付かずの自然と、その自然環境に適応した生業を営む人々が小規模な集落を構成する伝統的な景観が、そのほぼ全国土に見られる。伝統家屋と自然の地形に沿った耕作・放牧地に囲まれた環境の中で、独自の文化や習慣、宗教的精神性や相互扶助の伝統を重んじる農村の暮らしは、特別な保護の下に延命されたものでなく、現在のブータンにあたりまえにあるものである。全国に2000を数える大小の寺院は古刹・新築を問わずいずれも人々の篤い信仰を集め、コミュニティーの中心としての役割を果たす。行政機関と仏教僧団を合わせ容れる壮麗なゾンは17世紀以来のブータンの歴史を証言する遺産である以上に、次の歴史を刻み続ける場として存在する。このような、有形遺産(建造物)と無形遺産(伝統・信仰)の融合と共存が、混沌とかつダイナミックに現存する国は世界的に例をみない。
文化遺産法の必要性
こうしたダイナミズムは、文化遺産が人々の手にあって生き続けることを保障する一方で、伝統的生活様式の変化がそのまま有形遺産の改変(建造物の建替えや改築)に直結することを意味する。古い建造物は、収容すべき僧侶・信者の増加による空間拡張や機能の改善等のニーズに合わせた改築が継続的に行われ、また功徳を積む等宗教上の理由から機会あるごとに荘厳されてきた。しかし、近年の急速な近代化の流れの中にあって、これまでの伝統的精神性に裏付けられてきた文化のダイナミズムを文化遺産保護行政の中でどう捉え直すかが、同国担当機関にとって最大の課題のひとつとして認識されており、包括的な文化遺産保護行政の有力なツールとして、文化遺産関連法の整備が強く望まれている。