Column文化遺産コラム

文化遺産の「コト」

メキシコ発、21世紀型観光開発の展開と民俗文化財の活用のいま

2024年03月12日

文化遺産国際協力のいま 小林 貴徳

専修大学 准教授

メキシコは、全国に大小あわせて約5万件の遺跡や遺物が登録されているほどの遺跡大国ですが、今世紀にはいってから無形文化遺産の保護に重点を置くようになりました。そして、いまその活用をめぐって積極的な取り組みが進められています。小林 貴徳(専修大学 准教授)先生にメキシコにおける21世紀型観光開発について解説いただきました。

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  • メキシコの文化遺産

    メキシコの文化遺産と聞いて、テオティワカンやチチェン・イツァなど古代遺跡を思い浮かべる人は少なくないでしょう。

    たしかにユネスコの世界遺産リストに登録されたメキシコの35件(2024年現在)のうち、その1/3が古代遺跡に関するものです。全国に大小あわせて約5万件の遺跡や遺物が登録されているほどの遺跡大国ですが、メキシコでは今世紀にはいってから無形文化遺産の保護に重点を置くようになりました。そして、いまその活用をめぐって積極的な取り組みが進められています。

    • テオティワカン遺跡公園の「月のピラミッド」(筆者撮影)

    • チチェン・イツァ遺跡公園の「エル・カスティージョ」(筆者撮影)

  • 21世紀型、持続的な観光開発へ

    20世紀後半に肥大したマスツーリズム、とりわけ遺跡ツーリズムと海浜ツーリズムへの依存が問題視されていたメキシコでは、持続可能性や住民参加型をキーコンセプトとする21世紀型観光政策が提案されました。

    その嚆矢となったのが2001年創設の「魅惑的な村(pueblos mágicos」プログラムです。このプログラムは、遺跡や植民地期の建造物など有形のものから、祭礼や民俗芸能、工芸品や料理など無形のもの、民俗文化財や文化的景観と呼ばれるものまで、いわば地域社会が備えた魅力を掘り起こし、地域遺産として保護・推進しようとする枠組みです。

     

    「魅惑的な村」のロゴマーク(観光省WEBサイト)

     

    地方行政や市民を申請主体とするこの取り組みには全国の自治体から積極的な参加がみられ、2024年現在までに177件が「魅惑的な村」リストに登録されました。「魅惑的な村」に登録された自治体は公認ロゴを掲げつつ交付金で景観整備にかかり、地域社会の魅力を最大限活用した文化遺産化を推し進めます。祭礼の舞踊や衣装がより華やかになったり、工芸品や郷土料理がより洗練されたり、官民が連携して「魅惑的な村」を作り上げていくのです。

     

    パラチョ・デ・ベルドゥスコの祭礼(観光省WEBサイト)

  • 無形文化遺産と先住民の文化的伝統

    国内の観光政策を刷新する傍ら、メキシコは2003年のユネスコ総会で採択された無形文化遺産保護条約(2006年発効)を批准しました。

    やがてメキシコからは「死者に捧げる先住民の祭礼」(2008年)、「ボラドールの儀礼的儀式」(2009年)、「メキシコの伝統料理」(2010年)などが無形文化遺産リストに記載されますが、その背景には「魅惑的な村」プログラムで培った経験があったと考えられます。

    こうした国内外での文化遺産化プロセスで注目したいのは、メキシコ人口の約10%を占める先住民の文化に対する社会的評価の変化です。かつて、メスティソ(混血)を主体とする国づくりを目指したメキシコでは、先住民は国家に同化されるべき対象と扱われてきました。

    ところが、憲法改正を含む法整備が進んだ20世紀末から21世紀初頭を転換期として、先住民を国家の文化的多元性を支える根源的な存在とみなすようになり、先住民の諸権利の尊重が言語教育や文化をめぐる政策に盛り込まれました。先住民の文化的伝統はメキシコの歴史的連続性や文化の多様性を代表すると評価され、儀礼や祭礼、食文化や祖先崇拝にいたるまで、文化遺産化の対象となったのです。

    • 先住民トラパネカの死者の日の墓地(筆者撮影)

    •  先住民トトナカのボラドールの儀礼(筆者撮影)

  • 降雨祈願とジャガー戦士の闘い

    政府の観光推進プログラムほどの規模でなくとも、先住民の文化的伝統を文化財として評する動きは地方の農村部にも浸透しています。ここでひとつ、私が20年ほどフィールドワークをしているゲレーロ州山岳部の小さな例を紹介しましょう。

    ゲレーロ州山岳部の先住民ナワの村シトララでは、乾季から雨季へ切り替わる5月頭、降雨と豊作を祈願する農耕儀礼が実施されます。天水に依存する生存型農業が支配的な農村部では降雨祈願の儀礼が重要な意味を持っています。農耕儀礼のハイライトとして催されるのが「ジャガー戦士の闘い」です。この闘いは、ジャガーの仮面と衣装を身に着けた男たちが、ジャガーの尾にみたてた荒縄を堅く結ったこん棒で殴り合うという習俗です。会場となる村の広場では、群集が見守るなか、ジャガー戦士による一対一の闘いが繰り広げられます。戦士の雄たけびと滴る血、群集の喝采とまきあがる砂埃によって会場は集合的沸騰状態にいたります。この儀礼的暴力は、農耕儀礼で捧げられる血の供物とみなされ、住民は「ジャガー戦士の血が流れるほど大地は肥え、叫び声があがるほど雷雲が来たる」と誇らしげに語ってくれます。

     

    左上:  ゲレーロ州山岳部、先住民ナワの村シトララ

    左下:  先住民ナワのジャガー戦士  (筆者撮影)

    右:聖なる自己犠牲:ジャガー戦士の闘い(筆者撮影)

  • 非科学的な迷信から地域の民俗文化財へ

    いまでこそ「ジャガー戦士の闘い」をひと目見ようと多くの訪問者がつめかけ、マスメディアにも注目されていますが、1980年代頃まで、行政当局はこの習俗の過剰な暴力を問題視し、学校関係者からは非科学的だ、カトリック教会からは異端的だと批判されていました。開催中止を求める声が上がっていたほどです。

    しかし、時代の移りかわりとともに先住民文化の固有性が評価されるようになると、マスメディアはこぞって、古代より継承される聖なる自己犠牲と報ずるようになり、州政府や地元行政も地域社会を代表する民俗文化財(=地域の文化遺産)としてアピールするようになりました。いまでは、先住民の芸術や工芸を紹介する企画展が都市部の博物館で開催されるたび、ゲレーロ州のジャガーの仮面は先住民文化の想像力や世界観を伝える文化財として注目を浴びています。

    • 企画展『ゲレーロ州の民俗文化財』のエントランス(国立民衆文化博物館:筆者撮影)

    • 常設展示に再現されたジャガー戦士(ゲレーロ州地方博物館:筆者撮影)

  • 動物園にあらわれたジャガー戦士

    現在、日本の動物園で飼育されているジャガーは20頭ほどです。2023年、そのうち一頭が神戸市の王子動物園から名古屋市の東山動植物園に引っ越しました。完成したばかりの新ジャガー舎は密林の様子が再現されており、来園者は活動するジャガーの様子を観察することができます。そのすぐ脇に設置されたパネルでは、ジャガーの生態や絶滅危惧の状況に関する解説に並んで、ゲレーロ州先住民の「ジャガー戦士の闘い」が実際の映像とともに紹介されています。

     

    東山動植物園は、時代に合わせた魅力ある動植物園を目指す『再生プラン』に取り組んでおり、「人と動物をつなぐ架け橋」をスローガンとしています。世界の様々な文化を通じて人と動物の関係を考えようという趣旨で、メキシコ先住民の祭礼に表現された人間と自然の相互扶助の関係がジャガーの解説に加えられました。

    身体能力の高さやその美しさゆえ、かつてジャガーは密林の主として人から畏れられ聖なる動物として考えられていました。しかし、人の暮らしが関わる生息地の減少によって、ジャガーはいま絶滅の危機に瀕しています。地域社会に根を張る習俗を民俗文化財として賞賛するだけではなく、自然環境や生物多様性の保全を考える動機づけとして活用する試みは、文化遺産の運用をめぐる新たな可能性を示しているのかもしれません。

    ※本コラムは日本学術振興会基盤研究(B)2022 年度~2025 年度「被征服者が生んだ現代メキシコとその軌跡:歴史的資源の通時的研究による新たな歴史像」(22H03844;研究代表者:大越翼)の助成を受けたものです。

     

     

     

    左: 東山動植物園の新ジャガー舎完成のポスター(筆者撮影)

    右上:  王子動物園よりやってきた黒ジャガー(マヤ:雌2歳)(東山動植物園提供)

    右下: 国内最高齢のジャガー(アスカ:雄19歳) (東山動植物園提供)

    • 新ジャガー舎内に設置された解説パネル(筆者撮影)

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