Column文化遺産コラム

文化遺産の「コト」

建築をモノとして保存する

2023年03月28日

文化遺産国際協力のいま 金井 健

東京文化財研究所 国際情報研究室長/ 文化遺産国際協力コンソーシアム事務局

皆さんにはみてみたい、もう一度みたい文化遺産はありますか?ギリシャ神殿やピラミッドのような壮大な古代遺跡でしょうか。ダヴィンチやフェルメールの絵画といった傑出した美術作品があがるかもしれません。いま、世界をみわたすと、こうした有名な場所や作品以外にも、それぞれの文化や社会の中で多くの人々が未来に伝えたいと思う様々なものが、文化遺産と考えられるようになっています。中でも建築は、世界遺産に登録された20世紀の工場や団地があるなど、バラエティに富んだ分野です。ここでは、そんな建築の世界を通して、文化遺産を守るとはどういうことか、考えてみたいと思います。

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  • 文化遺産としての建築の守り方 日本の場合

    文化遺産として建築を守る方法は、国や地域による違いはありますが、建築物というモノを保存しようとする点ではおおむね一致しています。日本は、社殿を20年ごとに建て替えることで形式と技術を保存する伊勢神宮の式年遷宮が海外でもよく知られていて、モノの保存を重視していないと思われることがありますが、国宝や重要文化財となっている建築ではモノの保存にこだわった修理が綿々と行われ、そのための技法を発達させてきました。その中には、木材の傷んだ部分だけを虫歯の治療のように丁寧に直す「接ぎ木」や「剥ぎ木」と呼ばれる技法だけでなく(写真1)、風雨にさらされて消耗が激しい屋根や土壁を、元の材料に新しい材料を混ぜながら、さながら秘伝のスープのように残していく方法もあります(写真2)。なお、神社の塗装などは国宝・重要文化財でも一から塗り直されることが多いのですが、文化財になる前から何度も塗り直されているのが普通で、伊勢神宮のような遷宮の考え方が反映されているといえるかもしれません。

     

    (写真1)重要文化財の保存修理の様子(富山・勝興寺):腐朽が激しい柱の根本が「接ぎ木」、上部の細かな損傷箇所が「剥ぎ木」でなおされています

     

    (写真2)重要文化財の保存修理の様子(鳥取・尾﨑家住宅):軸組の歪みなどをなおすため土壁が一旦取り除かれますが、戻す際には元の土を練りなおした土が使われます

  • 日本における20世紀建築の保存

    このような日本の建築保存の考え方や技法は、江戸時代以来の伝統的な建築物の補修のやり方を基礎にして今日まで積み重ねられてきたものです。一方で、近年は代々木競技場(1964年築、2021年指定)や香川県庁舎(1965年築、2022年指定)のように(写真3)、戦後の建築がコンスタントに重要文化財に指定されるようになっています。こうした近代社会のもとで生まれた新しい建築は、それまでの伝統的な建築と区別して「20世紀建築」とも呼ばれます(写真4)。

     

    (写真3)代々木競技場第一体育館:建築家丹下健三の代表作の一つで日本のモダニズム建築の金字塔といわれています

     

    (写真4)木村産業研究所(1932年築、2021年指定)の正面玄関吹き抜け: 建築家前川國男が初めて手がけた建築物で、日本最初期のモダニズム建築です

     

     

    私たちの研究所がある上野公園は知る人ぞ知る建築遺産の宝庫で、昭和時代以降の20世紀建築でも、国立科学博物館本館(1931年築、2008年指定)、東京国立博物館本館(1932年築、2001年指定)、国立西洋美術館本館(1959年築、2007年指定)の3件が重要文化財に指定されています。このうち科学博物館と西洋美術館では文化財指定前に大きな改修工事が行われ、両者とも正面がつくり替えられました。科学博物館は、前面の地面を掘り下げて新たにサンクンガーデンがつくられたので、この部分と重なる車寄せ両脇の車路(スロープ)が一旦取り壊されましたが、外装材を再利用して元のかたちに戻されたので、このスロープも含めて重要文化財に指定されています(写真5)。西洋美術館も、前面の地下に新しい展示室をつくるため正面にとび出している特徴的なテラスは一旦取り壊され、同じ鉄筋コンクリート造でつくり直されましたが、元の材料が残らないがゆえに、このテラスは重要文化財の指定範囲から外されました(写真6)。こんなところにも、モノにこだわる日本の建築保存の考え方がよく現れているといえるでしょう。

     

    (写真5)科学博物館正面車寄せのスロープ:2007年の改修工事で新しい構造と設備につくり替えられています

     

    (写真6)西洋美術館のテラス:1998年の改修工事に際してオリジナルと同じ構造とデザインで再建されました

  • 20世紀建築保存の先進地 オランダの場合

    ヨーロッパは、パリやロンドンといった名だたる大都市でも歴史的な建築物がたくさん残されていることからわかるように、どこも建築遺産の保存には一家言ある国柄です。その中でもオランダは20世紀建築遺産の保存にとりわけ熱心な国で、シュレーダー邸(Schroder House、1924年築、2000年登録)とファン・ネレ工場(Van Nelle Factory、1925年築、2014年登録)の2件が世界遺産になっています(写真7・8)。ヨーロッパの国々が中心となって文化遺産保護の基本的理念をまとめた「ヴェニス憲章」(1964年)からもよくわかるように、ヨーロッパでは建築遺産にできるだけ手を加えず、モノそのものを保存することが理想とされています。しかし、築年数が浅く、現役の施設として使われていることも多い20世紀建築では理想どおりとはいかないこともしばしばで、増改築の方法に様々な工夫が試みられているのは日本と同じです(とはいえ数が違うので、オランダのほうが圧倒的に経験値が高いのが実情ですが)。現在はオフィスビルとして再利用されていて、世界遺産にもなったファン・ネレ工場は、そのロールモデルといえるかもしれません。

     

    (写真7)シュレーダー邸:当時ユトレヒト郊外の新興住宅地として開発された一角に建築されました(隣の煉瓦造のアパートメントも同時代に建てられたものです)

     

    (写真8)ファン・ネレ工場:内部は貸テナントのオフィスビルに改修されていますが、最大の特徴でもある壁一面のガラス窓はオリジナルのまま保存されています

     

     

    それでは、モダニズム建築の傑作として保存修理され、現在はユトレヒト中央美術館の収蔵品として管理運営されているシュレーダー邸はどうでしょうか。この住宅は、若き未亡人のシュレーダー夫人と3人の子どもたちのために、まだ駆け出しの建築家だったヘリット・リートフェルト(Gerrit T. Rietveld)が設計したものです。現地を訪れると、いかにもモダニズム建築らしいシンプルなかたちのまっさらな建物というのが第一印象で、可動間仕切りや回転扉などフレキシブルな空間をつくる仕掛けや大きく開く窓といったモダニズム建築ならでは装置は今も動かせるようになっています。しかし、こうした状態を保つには弛まぬメンテナンスが欠かせず、つまり状態が悪いところがあれば新しいものに変えねばならないということに他なりません。実際、シュレーダー邸の最大の特徴ともいえるビビットな赤や黄の原色で塗られた部材やマットなモノトーンで大きく塗り分けられた壁面を色あせずに残すのは、塗り替えなしには無理でしょう。1970年代から80年代にかけて、オランダ文化遺産庁の監督のもとで保存修理を手がけた建築家のベルタス・ムルダー(Bertus Mulder)は、リートフェルトの空間構成のアイデアがモノとしてみえるようにすることを原則にしたといい、文化遺産庁もあえて口出しせずに見守ってくれたことでこの突飛な挑戦を達成できた、とも述べています(写真9)。この挑戦の意味は、美術館に展示されているリートフェルト設計の椅子とみくらべると、はっきりするかもしれません(写真10)。オリジナルの材料がよく保存されたこの椅子の姿からは、100年という時間の重みは十分に伝わってきますが、モノの要を絞りこんだモダニズムのかたちに宿る生き生きとした力強さが感じられるかといえば、ちょっと難しいように思います。

     

    (写真9)シュレーダー邸2階の内部:過去のある時代を再現するのではなく、建築の特徴がもっとも伝わるように気をつけて内装や家具も整えられています

     

    (写真10)アムステルダム国立美術館に展示されているリートフェルト設計の椅子:手前に代表作の一つ「赤と青の椅子」(1917)、奥に子供用の高椅子(1920)

  • より多くの文化遺産を未来につなぐには

    もちろん、シュレーダー邸のような常識はずれの保存の仕方が多くの議論を呼ぶことは想像に難くありませんが、いずれにしても建築がモノとしてもつ意味を真剣に考えた結果であることには変わりありません。オリジナルの材料が目にみえるかたちで残されていないことや、長年ここで暮らしたシュレーダー家の生活の様子がまったく感じられないことに対する批判がある一方で、ムルダーの保存修理とその後のメンテナンスのやり方自体がいまや文化遺産の一部になっている、という人もいます。シュレーダー邸もファン・ネレ工場も、決して安くはない入場料をとりますが、いつも見学者で賑わっていて、建物をみながらあれやこれや話しあう声が聞こえてきます(写真11・12)。社会に眠っている文化遺産をいち早くみつけて、その保存に果敢に挑み、評判はさておき、多くの人々に興味と関心をもってもらうことが、もしかしたら、文化遺産を守り伝えていく上で一番大切なことなのかもしれません。

     

    (写真11)シュレーダー邸の一般見学の様子:間仕切や窓を機能的に動かせることを学芸員が説明しながらデモンストレーションしてみせています

     

    (写真12)ファン・ネレ工場の一般見学の様子:天井には再利用のための電気設備や配管がオリジナルのデザインと調和して設えられています(柱はモダニズム建築らしく力学的に理にかなったかたちになっていて、マッシュルーム・カラムと呼ばれます)

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