Column文化遺産コラム
真珠、石油、古墳の国バハレーンへの国際協力事業(I) : 古墳群の保存・活用・史跡整備に関するスタディー・ツアー
2019年04月22日
文化遺産国際協力のいま 安倍 雅史
東京文化財研究所 文化遺産国際協力センター 研究員
バハレーンは、ペルシア湾に浮かぶ東京23区ほどの小さな島です。皆さんは、バハレーンと聞くと、真珠や石油あるいはF1グランプリを思い浮かべるかもしれません。しかし、バーレーンにはもう一つ有名なものがあります。それが、古墳です。バハレーンは、昔から古墳の島としても有名です。
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真珠、石油、古墳の国バハレーンへの国際協力事業(I) 古墳群の保存・活用・史跡整備に関するスタディー・ツアー
真珠、石油、そして古墳の国
バハレーンは、ペルシア湾に浮かぶ東京23区ほどの小さな島です。
皆さんは、バハレーンと聞くと、真珠や石油あるいはF1グランプリを思い浮かべるかもしれません。
しかし、バハーレーンにはもう一つ有名なものがあります。それが、古墳です。バハレーンは、昔から古墳の島としても有名です。
現在では開発により数が減ってしまったものの、バハレーンにはもともと7万5千基もの古墳があったといわれています。
日本の古墳時代に造られた古墳が15万基ですから、東京23区ほどの小さな島に、日本列島にある全古墳の半数にあたる数の古墳が存在することになります。
世界でも、これほど古墳が密集する場所はバハレーン以外にはないといわれています。 -
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メソポタミアの物流を支えたディルムンの商人たち
この古墳の大半が造られたのが、前2200年頃から前1700年頃にかけて、バハレーンがディルムンと呼ばれた時代でした。
当時、イラク南部(南メソポタミア)ではメソポタミア文明が繁栄していました。
しかし、南メソポタミアは大量の泥が堆積してできた巨大な平野であるため、金属や貴石、石材といった文明生活を営むうえで不可欠な資源が存在しませんでした。ここで活躍したのがディルムンの商人たちでした。
彼らは、大海原に乗り出し、メソポタミアとオマーン、インダスを結ぶ海上交易を独占し、金や銀、銅、錫、象牙、ラピスラズリ、カーネリアン、真珠、黒檀など大量の物資をメソポタミアに運びこんでいました。
まさに、メソポタミア文明を物流の面からサポートし、メソポタミア文明の生命線を握っていたのが、ディルムンでした。 -
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ディルムンの古墳群の世界遺産登録をめざして
このディルムンの人々を葬った墓こそが、現在、バハレーンに残る古墳なのです。
2019年度に、日本政府が大阪の百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に登録することを目指しているように、バハレーン政府も、2019年度、ディルムンの古墳群の世界遺産登録を目指しています。
実は、日本も、この世界遺産登録に協力しています。
2011年、文化遺産国際協力コンソーシアムは、バハレーンにおいて相手国調査を行いました。
その際、バハレーンの文化省から、現在、古墳群の世界遺産登録にあわせてオンサイト・ミュージアムの建設を計画しているので、ぜひ日本における史跡整備の事例を視察したいとの要望が寄せられました。 -
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日本でのスタディー・ツアー 同じ古墳の国の経験に学ぶ
そこで、翌年の2012年、国際交流基金から助成を受け、バハレーン文化省から専門家2名を招聘し、古墳群の保存・活用・史跡整備に関するスタディー・ツアーを日本国内で実施しました※。
北は群馬県から南は宮崎県まで、じつに2週間にわたり、日本を代表する古墳公園や史跡公園、考古博物館をまわりました。
とくに、いちはやくユニバーサル・デザインを導入したことでも有名な宮崎県の西都原考古博物館には感銘を受けたようで、バハレーン人専門家の口からは「この博物館を買い取り、船に乗せ、今すぐにでもバハレーンに持って帰りたい。」との冗談までもが飛び出していました。
日本での視察の経験が少しでも役にたち、バハレーンの古墳群が無事、今年度、世界遺産に登録されることを願っています。
※招聘事業の代表は、西藤清秀氏(奈良県立橿原考古学研究所) -