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カンボジア人の心の復活―アンコール・ワット保存修復で「民族の誇り」を取り戻した
文化遺産の「ヒト」 COLUMN文化遺産コラム

インタビュー

カンボジア人の心の復活―アンコール・ワット保存修復で「民族の誇り」を取り戻した

石澤良昭
上智大学アジア人材養成研究センター / 所長上智大学 教授
文化遺産国際協力コンソーシアム 顧問
専門は東南アジア史、文化遺産学と碑刻文研究。とりわけカンボジアのアンコール遺跡の調査・研究とその人材育成に長年携わる。
2021/03/30
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事務局より

このインタビューは、文化遺産国際協力コンソーシアムが令和2年度に作成した動画「人類の宝を未来につなぐ~日本の文化遺産国際協力~」のためにお話を伺ったものです。動画には時間の関係でその一部しか含めることができませんので、このような形でご紹介することとしました。伺った貴重なお話はこれだけではありませんので、今後もご紹介していきたいと思います。

研究の
きっかけは?

フランス語の上達のために訪れたカンボジア

フランス語の上達のために訪れたカンボジア

1959年、私は上智大学の外国語学部フランス語学科3年の学生でした。指導教授からフランス語研修のために、元仏領インドシナ、今のベトナム・カンボジアに在るフランス極東学院を訪問し、フランス人から話を聞いてみないか、というお誘いがあり、いわばフランス語の他流試合だったのです。引率者は、ポール・リーチ教授といい、井上ひさしさんの小説『モッキンポット師の後始末』の登場人物モッキンポット師のモデルとなった先生です。60年代はベトナム戦争の前ですから、まだフランス人が現地にたくさん残っていました。それ以上に、私はカンボジアのアンコール・ワットに魅せられておりました。これを建てたのはどういう王で、何の目的で、いつ建てられたのかということを教えてもらったのですが、それを説明してくれたのはやはりフランス人でした。当時のアンコール王朝研究はフランスが独占し、その研究成果はすべてフランス語でした。フランス語ができる若いカンボジア人が、誇らしげにアンコール時代のアンコール・ワットの話をするのを聞いて感服しました。

1980年
カンボジア再訪

内戦後、再び訪れたカンボジア

帰国後、私は歴史学に転向して、学位を取得しました。フランス人による先行研究を読破しながら、アンコール時代の生の史料の碑刻文研究を続けていました。1960年代に何回かカンボジアを訪れて、カンボジア人の友人と親しくなりました。カンボジアでは11970年から内戦が始まり、私が次にカンボジアを訪れたのが1980年で、遺跡の崩壊状況を調査するテレビ班と一緒でした。1975年からのポルポト政権下では知識人が虐殺され、多数の難民がタイ国境に逃れているという話を聞き、私はカンボジア人の友人たちのことを心配していました。案の定、60年代には46名ほどいた遺跡の保存官たちが、80年に行った時には3名しか生きて帰ってこなかった。保存官たちは片言のフランス語ができたので知識人とみなされ、虐殺、あるいは死に追いやられました。拷問や虐殺のあった刑務所や、そのお墓地を見せられ、本当に、地獄の沙汰のような光景を目の当たりにしました。残った3名の保存官から、こんなに広く大きなアンコール遺跡群を守れない。急務として、遺跡を守るカンボジア人を育てなければならない、という話を聞かされました。保存修復の専門的な作業とは別に、遺跡の応急処置に大事なことが三つあります。一つ目は遺跡から雨水を抜くこと。二つ目は、樹木の芽を摘むこと。三つ目は黒カビを除去することです。1980年のその時は、それら3つの仕事を、村人に私のポケットマネーでお願いしました。大きな遺跡を、これまでの保存修復の経験に則って守るためには、どうしても専門的な研修を受けた人材が必要になります。1996年、上智大学はカンボジア人保存官養成のために、現地に保存官研修の施設を建てました。そして、カンボジア人たちが自分たちの手で保存と修復ができるように、ソフィア・ミッション(国際奉仕活動)が現地で始まりました。

なぜ人材養成か

カンボジア人自身による保存修復を

カンボジア人自身による保存修復を

1960年代にカンボジアに行った時には、フランス人の専門家は、カンボジア人にはできないから遺跡の修復をやってあげているのだと豪語していました。私はそうじゃなくて、カンボジア人と一緒に仕事をしながら、彼らは手先が器用で、遺跡に対して持って生まれた民族感性みたいなものを持っている、研修すれば遺跡の修復もできるんじゃないかと考えました。カンボジアは1863年からフランスの植民地でした。カンボジア人作業員はちゃんとしたカリキュラムで保存修復のノウハウを教えてもらえず、いつも下働きの作業員で、気の毒な立場にありました。私がカンボジア人による保存修復活動を開始したときも、カンボジア人はこれまで修復に携わってこなかったのだから、カンボジア人に任せたら遺跡を壊してしまうのではないか、という反対の声が、日・仏の専門家からありました。しかし、私の願いとして、彼らの遺跡なのだから、テクニカルな問題、方法論の問題、修復のノウハウを学び、実習をすれば、彼らはやれる、という思いがありました。アンコール・ワットというのはカンボジアの人たちにとって、神様がいる、自分たちの祖先の魂が残っている、そういう神聖な遺跡なんです。そして、アンコール・ワットの現場で人材養成をすることで、4派に分かれて24年間の内戦の間、あの人は何派にいたとか、あの人はあっちだったとか、そういうわだかまりがなくなるように、アンコール・ワットの工事現場が民族和解の場になるように願っていました。そういったことが和解の一つのきっかけになることを願っていました。まずはそんな機会を設け、カンボジアの人たちと私は友達になりました。

人材養成を
行う中で

カンボジア人と日本人の学生同士の交流

遺跡の保存修復のための保存官養成を考えて、現場に入って実際に作業をしてもらおうと、プノンペンに在る王立芸術大学の学生さんに、長い休みにアンコール遺跡のあるシェムリアップに来てもらうため、土地を買い、建物を建てて、そこで研修するという計画を立てました。「カンボジア現地で人材養成をする」というお願いの手紙を持って、日本のいろんな会社を回りましたが、その中で理解ある会社の方たちが資金源を考えてくださり、当時カンボジアの問題がよく新聞紙面で取り上げられていたこともあり、たくさんの寄付をいただくことができました。そうして土地を買い、建物を建てたのですが、それはシェムリアップにおける活動拠点がちゃんとあるということで、カンボジアの人たちに安心感を与えたと思います。そして1991年から10年以上にわたって活動を続け、多くのカンボジア人が成長し、国内も少し安定してきました。その頃から、カンボジアの大学を出た保存官候補の学生を、上智大学が留学生として受け入れて、日本で勉強して学位をとれるようにしたことで、これまで博士7名、修士11名を輩出しています。学生寮においてカンボジア人と日本人の学生の間の交流が生まれ、カンボジア問題に興味を持って、カンボジア研究に進む日本人の学生が増えたことも、活動の一つの成果といえます。その時、カンボジア地域研究で学位を取得した日本人大学院生は約25名以上でした。

今後どうなって
ほしいですか?

カンボジア人保存官が自前で修復・研究を続けていけるように

カンボジア人保存官が自前で修復・研究を続けていけるように

私がカンボジア研究を始めた1960年代のころ、世界遺産というものが注目され始めたのですが、世界遺産というのは、その民族にとっては自分たちの自慢できる財産です。カンボジアは、やはり自慢するとしたらアンコール・ワットということになるのだと思います。遺跡というのは、観光資源でもあるのですが、同時にお国自慢から始まって、カンボジア人の心の復活につながるものであり、元気が出る、魅力ある文化財と感じています。2017年アジアのノーベル平和賞とわれるR.マグサイサイ賞を上智大学の私が代表して受賞しました。その贈賞理由は「カンボジア人が民族の誇りを取り戻す手伝いをしたこと」が挙げられました。アンコール地域に住んでいる村の人たちは、「アンコール人」と呼称され、なんだか気分を良くしている感じがあります。そういう意味で、アンコールのような遺跡は今後もたくさんの方を呼び込むと思っています。それから、カンボジアにはまだ保存修復されていない遺跡がたくさん残っております。それは今後、カンボジア人の保存官たちが育ってきて、そして自分たちの祖先が造った遺跡として、保存修復をして、世界遺産に登録していくことになるんだろうと思っています。私は2020年コー・ケー遺跡群を世界遺産登録に推薦しました。今カンボジアでは、開発によってたくさんの考古遺跡が発見されています。文化遺産大国として、カンボジアはこれからたくさんの観光客に来てもらって元気になると同時に、カンボジア人が自前で修復・研究を続けてほしいのです。これまでの上智大学のソフィア・ミッション(国際奉仕活動)により、約30年間にわたり人材養成活動が続けられてきました。こうした「カンボジア人による、カンボジアのための、遺跡保存修復 “By the Cambodians, for the Cambodians” 」が実現しつつあることを大変うれしく思います。現在、アンコール・ワット西参道ではカンボジア人保存官たちが自前で修復工事を続けています。