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平山郁夫先生が描いたもう一つの道<br>それがコンソーシアムなんです
文化遺産の「ヒト」 COLUMN文化遺産コラム

インタビュー

平山郁夫先生が描いたもう一つの道
それがコンソーシアムなんです

前田耕作
和光大学 名誉教授
文化遺産国際協力コンソーシアム 副会長
専門はアジア文化・思想史。1964年でのアフガニスタン・バーミヤン遺跡の考古学調査以降、長年にわたり西アジア・南アジア諸地域のフィールドワークを行う。
とりわけバーミヤン遺跡の保存事業に大きく携っており、紛争下における文化遺産保護の重要性を世に発信し続けている。
2016/08/03
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そうなんだ!

コンソーシアム設立と平山郁夫

コンソーシアム設立と平山郁夫

文化遺産国際協力コンソーシアムの設立について平山郁夫という存在を抜きにして語ることはできません。平山先生はその功績があまりにも大きいので、近寄りがたい人物だと誤解している人がいるかもしれませんが、全くそんなことはありませんでした。東京藝術大学の助手時代には貧しい下宿長屋に暮らしていたそうですが、そのせいか、長屋人情と言うのでしょうか、義に厚くそれでいてとても親しみやすく気さくな方でした。
その助手時代のエピソードですが、ジャポニズムの影響でフランス人が日本文化への関心を高めていた当時、平山先生はフランス語ができるということでフランス大使館に請われ日本画を教えに通っていたそうです。貧しい長屋の前に、決まった曜日に毎回立派な車が迎えに来るので、周囲ではあそこにはどんな人が住んでいるのかと噂になっていたそうです。
平山先生らしいエピソードだと思います。とにかく若い時から芸道への信念があり、ご自分の信じた活動ならあまり周囲からの目線など気にしないという強さがおありだった、とあらためて思い起こされます。

これ知ってた?

ファントム戦闘機の尾翼の片翼分だけの予算

平山先生がなぜ、文化遺産保護の活動に早くから積極的に取り組まれたのかといういと、それはまずご自身でアジアを深く歩かれ、さまざまな現場を眼にしてきたという理由があると思います。
紛争による破壊や自然の力による崩壊によって、多くの文化遺産が消滅の危機に瀕していることを目の当たりにし、何か対策を行わなければという切迫した想い。いっぽう、高度経済成長を遂げた日本が今度は国際貢献を果たすべきときだという想い。この二つの想いが、政治や国境を越えた文化遺産の保護によって平和の礎となる国際貢献を行うという考えに結びついたのだと思います。こうした発想は、日本ではもちろん、当時まだ海外でもあまり明確化していなかったと思います。
平山先生が抱いていた全人類史的な視点と、国内的には官と民を繋ぎ、国際貢献を文化を通して実現するための論議の協働の場を生みだすことが近喫の課題という強い意識がコンソーシアムを設立させるプロセスに繫がったのだと思います。官・民・財が一緒に活動しなければ文化遺産保護を通じての国際貢献という壮大なプロジェクトは推進できない、と認識していた平山先生は、政府にこう言ったそうです、「たくさんの予算は必要ありません。ファントム戦闘機の尾翼の片翼分だけの予算を下さい」と。それを聞いた当時の政治家たちはみな胸打たれたということです。たったそれだけで日本は大きな国際貢献ができる、あの柔和な顔で、しかし断固とした調子で先生はそう説いていらっしゃったんですね。

コンソーシアム
を語る

バーミヤンの爆破と文化財赤十字構想

バーミヤンの爆破と文化財赤十字構想

平山先生の文化財赤十字構想とは、戦禍によって多くの難民の生じる状況のなかで、全人類史な視点で政治や国境の枠を越え人びとを救援する活動、いわば国際赤十字のような活動を、流出する文化財に対してもなすべきだというコンセプトでした。平山先生はかなり早くからその構想をお持ちでしたが、日本の研究者や政府とその関係者たちに具体的に働きかけ始めた転機はやはりバーミヤン大仏の爆破事件です。ですからあの事件はコンソーシアムの成立にとっても象徴的な事件なのです。
2001年の3月7から11日にかけてバーミヤン遺跡は爆破されました。それ以前から、タリバンは何度も破壊を予告していました。当時、平山先生はユネスコの親善大使をなさっていたので、世界的にリーダーシップを取って爆破阻止のためさまざまなメッセージを出しました。一方私たちも平山先生をバックアップする形で、世界各国にいる日本の学術調査団への呼びかけを行いました。平山先生の声明を支援する研究者の名簿を作ったりしました。その時のバックアップ活動がいまのコンソーシアムの分科会のバックボーンになっています。
平山先生や私たち研究者が共同でメッセージを発信し、阻止を試みたタリバンのバーミヤン大仏の破壊は、結局止められませんでした。無念でした。ただ、それをきっかけに、文化庁、外務省、研究者、オールジャパンで活動しようという機運が高まったのです。

なぜ今の研究を?
Part 1

バーミヤンに初めて調査に行ったときのこと

バーミヤンに初めて調査に行ったときのこと

私は1964年にはじめてアフガニスタンに行きました。東京オリンピックの年ですね。だから実は私は、東京オリンピックを知らないのです。今度の2020年の東京オリンピックが私にとってはじめての東京オリンピックですね。
私は戦前生まれですから、幼少期はもちろんバーミヤンやアフガンなんてまったく知りませんでした。聞いたこともなかった。戦後になっても、仏教研究というもの自体が辛気くさい前時代的なものという印象から不人気でしたね。
とにかく戦後の日本で持てはやされたのはアメリカ文化とフランス文化。私の場合はたまたまそれがフランス文化でした。当時フランス映画を随分観たし、フランス文学もかじりました。
それが幸いして、アフガンに同行することになったのです。というのも当時アフガンの高官はみなフランス語しか喋らなかったから、手伝いとして僕に行けと言われたのです。アフガンに着くと一人で役所に通って書類を申請する。毎日がお役人との交渉でしたから、正直言って私にとっては学術調査どころじゃなかったです。フランス語と片言のダリー語での交渉の果て、なんとかバーミヤンまではたどり着いたのですが、そこで私は遂に倒れてしまうんです。2週間ほど寝込みました。

なぜ今の研究を?
Part 2

バーミヤンという巨大遺跡を一人で調査

バーミヤンという巨大遺跡を一人で調査

調査隊は、玄奘法師のようにヒンドゥークシュ山脈を馬に乗って越えることも目的の一つとしていましたので、私はここに残りますからみなさんは先に進んで下さい、と言いました。しばらく療養していると、そのうち、日本人たった一人で寝込んでいるのを気遣って、バーミヤンの住民たちが色々と快復のためのアドバイスやよもやま話しをしてくれるようになりました。
おかげで快復すると、バーミヤン遺跡を誰にも拘束されることなく自由に探索することができました。夜はランプの光のもとフランスの報告書を日本語に訳し、昼間は巨大遺跡を一窟また一窟と調査し始めました。これもたまたまですが、これまで発見されていなかった新しい石窟を見つけたりしました。
ものすごく幸せなひとときでした。最初はドタバタ劇でしたが。日本の大仏はバーミヤンの大仏から100年遅れて造られるのですが、まさに大仏の原点がバーミヤンにあります。それがまさか自分の眼で見られるとは、その時がくるなど思ってもいなかったですね。

好奇心溢れる
子供たちへ

ちょっとしたことから関心を高める子供たち

私も時折、子供たちに発掘の様子や古代の遺跡についてレクチャーすることがありますが、その時の子供たちの反応というのはとても面白いものです。たとえば発掘現場で、日本から持ち込んだ「箕」が使われことがあります。その様子の写真を見た子供たちは必ず、日本の伝統的な道具が海外の遺跡の発掘で活躍していることに驚きと関心を持つんですね。なんだか興味深いと思いませんか。
普段、身近に接していたり、日本文化の中だけで使われるものだと思っている道具などが、ふと、海外のしかも遠い昔の遺跡の発掘風景に出てくる。そのことが、かなり奥行きをもった“世界”として認識されるんじゃないかと思います。ただ単に、現代の海外の風景に日本のものが登場するというだけではない、空間軸だけではなく時間軸も感じるような、世界との接続体験なんだと思います。

さあ次は
どこ行こう

世界中どこでもかけつける文化財の救援部隊

世界中どこでもかけつける文化財の救援部隊

文化財赤十字構想の中には、実行部隊という存在も含まれています。なにかあればいつでも救援に飛び出していけるようなチームの存在です。いまはまだそこまでの組織になっていませんが、ゆくゆくは世界中の文化財を救援するための国境なき組織が生まれ、機能したらと思います。
この分野では、それぞれの研究分野での活動がとても活発です。そしていざ横断的に活動しようとしたときにそのプラットフォームとなるような組織それがいまの私たちのコンソーシアムです。政府、研究者、民間、財団が同じテーブルで忌憚のない意見を交わし合い、その合意を実現に結びつける場はコンソーシアムほかにないと思います。これからはもっと企業、財界との繋がりも強め、本当のオールジャパンになり、文化遺産保護・活用を通じての平和的・包括的な国際貢献によって、世界における日本の存在感を高めていきたいですね。政府もまた立法者としてその責任を果たしていただきたいと願っています。