1.研究の経過
今回の調査は、昭和59、61年度の2次にわたるラニガト遺跡中心部の発掘調査の最終年度であった。発掘期間は平成元年10月5日から12月11日まで、おもな調査区域は、主塔地区北半部分、南トレンチ南端会堂、西トレンチの拡張、西南地区、西の丘、西の丘東の平坦地そして南地区の周囲に分布する石窟群で、約3000平方メ-トルを発掘した。これで各区の発掘はほぼ終了し、その構成を明らかにすることができた。平成2年度は、平成元年度調査で実測を終えることができなかった西の丘地区、主塔地区北半の遺構実測調査ならびにCG平板によって遺構分布図の作成を行なった。
2.建築遺構
主塔院は南北が対称ではなく、構築時期も南地区の最終遺構面上から最終期大基壇上まで、多様であった。主塔院北回廊では西南地区の遺構と同じ様式のストゥッコで装飾された9基の奉建小塔が検出され、遺構の編年の貴重な資料となった。
西南地区では西南塔の西側の僧房群の構成が明らかになった。僧房はタクティ=バヒの4面僧房に見られるものと同じ様式で、中庭を囲むようにL字形に配されていた。
西の丘地区は、相当の時期差をもつ大小18の仏塔で構成され、側面を地文様積みの擁壁が巡っていた。また小塔内部から舎利容器室と滑石製の舎利容器を発見したが、こうした出土例は今世紀唯一と思われる。また主塔院入口から西の丘北東の北門まで幅約10mの通路がとおり、通路には約1.5m間隔で礎石がならびア-ケ-ド上の庇がついていたことが明らかになった。
南地区では、石窟の構造と、僧房跡と石窟の関係を明らかにできた。また、平成2年度には実測調査中に、食糧貯蔵のためとかんがえられる、花崗岩巨石をくり抜いたピットが発見された。
3.遺物
彫刻はクシャ-ン期と想定されるものが多いが、西南地区ではストゥッコが多数出土し、他地区との時期差が認められる。土器は前回までに試みた編年の仮説を補強し、ラニガト関係5期、後ラニガト期2期の7期の時期区分について、さらなる細分を可能にするデ-タがえられた。コインは初期クシャ-ン期からイスラム期までの20点をえた。金属製品では鋳鉄製のドアソケットが原位置で出土したことが注目される。
4.研究成果
仏塔の建築様式は、1)円形基壇、2)装飾のない方形基壇、3)柱型付方形基壇を、4)4〜5層のストゥッコの装飾帯付方形基壇に大別され、構築時期の観察から1)→4)の歴史的展開が確認された。また石積み技法は、1)ダイアパ-(地文様積み)、2)セミアシュラ-(半切り石積み)、3)アシュラ-(切り石積み)に大別され、同じく1)→3)の展開が確認される。ただマ-シャルの年代をラニガト遺跡に適用するのは、石材の種類、地域性を考慮すると困難である。
さらに注目すべきは、建築様式および技法を判断材料にして、伽藍構成の歴史的展開が確認されたことである。すなわち、1)仏塔独立(主塔院下層)、2)周壁、祠堂列の塔院形式(主塔院上層)、3)仏塔、大祠堂並立の3形式であり、大乗仏教形成期におけるガンダ-ラ寺院の展開をかんがえるうえで貴重な史料となろう。
また土器に関しては、西トレンチ、南トレンチからえられた層位史料から、7期に編年され、共伴するコイン、チャルサダ、ダムコット等の遺跡からの出土遺物等の比較から、紀元前1世紀後半から紀元8世紀ごろの年代観をえた。
石彫は多くは断片にとどまり、様式の編年は困難であった。また当初の目的であった、石彫の遺構内位置での発見はできなかった。ただ主塔地区では青色片岩(グリ-ンシスト)製の石彫が多くみられるのに対し、西南地区ではストゥッコの出土が極めて多かった。このことは、西南地区が主塔地区よりも時期的に新しいことを、遺物からも説明できることを意味し、マ-シャルが、タキシラにおいて仮説的のべた石彫からストゥッコへの展開を実証する。
ガンダ-ラ仏教遺跡の総合調査
- 事業名称
- ガンダ-ラ仏教遺跡の総合調査
- 実施地域・国
- パキスタン
- 対象とする文化遺産の名称
- ラニガト遺跡
- 地域
- アジア
- 文化遺産の分類
- 考古遺跡
- 事業実施機関
- 京都大学
- 期間
- 1989年 ~ 1990年
- 協力の種類・事業区分
- 学術調査・研究
- 資金源
- 科研費