オウシーア遺跡

事業名称
オウシーア遺跡
実施地域・国
イラク
地域
中東
事業実施機関
国士舘大学 イラク古代文化研究所
期間
1982年 ~ 1984年
協力の種類・事業区分
学術調査・研究
資金源
大学法人

活動内容

ユーフラテス河が見渡せる段丘上にあるオウシーア遺跡には、謎を秘めた遺構がいくつかある。何の目的で造られたかわからない人工的な丘や、意味不明な石の列、突如として存在する前2600年頃(初期王朝時代第III期)の王墓級の墓、前1800年くらいの巨大墓を含む一連の遺構などである。国士舘大学が手がけた発掘は巨大墓と一連の遺構群であり、エリアAと名付けられた。その他にもエリアBと名付けられた墓群の発掘を手がけている。エリアAで特に目をひくのは前1800年(イシン・ラルサ期)頃に地下に造営された巨大墓である。王墓と呼んでもいいこの墓は、二つの部分から構成されている。前室を伴う2室と、その裏に設けられた3室である。前室を伴う室は埋葬のための室であり、裏の室は家具などが収められていたのではないかと想像されるが、何回も盗掘されていたため、埋葬状況などは判っていない。しかしそのような状況下でも貴重な副葬品が沢山発見されている。おびただしい量のビーズや円筒印章、金属製品、土器などである。これらの埋葬品から、この巨大墓は貴族など位の高い人の墓である事が判っている。この巨大墓の上部や周囲にはおびただしい数の土製の等身大獅子像が散乱していた。これらは神殿などの門の両側に置かれる守護像であり、南メソポタミアに初源がある。つまりエリアAには神殿など公共性の高い建物があったと推察されるのである。

オウシーア遺跡のあるユーフラテス河中流域は地理的環境が悪く、農耕には適さないが、メソポタミアとシリアを結ぶ重要な交易路である。過去から現在まで常に領土争いが展開されていた地域でもあり、前1800年頃も北のアッシリアや南のバビロン、西のマリ、東のエシュヌンナなどの国々がこの地域への拡大をもくろんでいた事がわかっている。おそらくオウシーア遺跡もこれらの国の領土拡大の争いの渦中にあったのだろうと想像できる。

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