1.研究の目的と意義
アジア大陸の西と東の世界は、技術的・文化的な交流を行った。しかし、その実態は不明瞭な部分が多い。そこで、アラビア半島に存在したイスラーム時代の港湾都市遺跡を訪ね、目に見える物を採集し、生活文化融合の意味を考える資料にすることが、本研究の目的である。東西世界の海上ルート上に位置するアラビア半島の遺跡で、具体的な研究を進める意義は大きい。
2.アラビア半島沿岸の遺跡踏査
現地調査は3回に分けて実施した。1993年11月にイエメン国のアデン湾岸の遺跡調査、1994年3月にアラブ首長国連邦シャルジャ国のオマーン湾岸の遺跡調査、1994年12月にオマーン国のオマーン湾岸遺跡踏査である。遺跡を発見し、現状を観察し、表面にある遺物と遺跡の関連を考える、等を行った。採集・観察した主要な遺物は、腐食せずに残る陶磁片とガラス片であった。
今回は、アデン湾岸の調査を報告し、オマーン湾岸の報告は次回に譲る。連続する地域であるオマーン国のオマーン湾岸遺跡踏査を1994年12月に計画しているからである。首都サナーでイエメン考古総局総裁のバハキーフ氏に、旧南イエメン海岸地域のイスラーム時代遺跡踏査許可授与の礼を述べる。アデンでは、アデン地域の考古局長官のラガバタウィル氏に会い、アデン周辺の遺跡と博物館を訪ねる準備を整える。地域ごとに案内いただく博物館員についても手配いただく。東に進み、ムカラ地域の考古局長官のオマル・アルアイドルス氏に会い、イエメン南部の東海岸地域の調査支援をお願いする。こうした関係者は南イエメン出身のため、イエメン内戦で退職した。
3.アラビア半島沿岸の遺跡踏査の成果
(I)イエメン
(1) コーダムセイラ遺跡。アデン郊外に位置。周辺は平地、遺跡の丘は20mの高さ、1kmほどの径の大遺跡。表面に日干泥レンガの家壁の跡。多くの土器と施釉陶器が表面に散乱。13ー14世紀の中国青磁。17ー18世紀の中国染付。タイ/ミャンマー白釉陶器皿。タイ青磁。イエメン施釉陶器。フリット陶器は稀。ガラス片も多く、容器片、ハングル、ビーズがある。ガラス窯跡の痕跡。ビーズ。青銅コイン。青銅片。13世紀中国青磁と17ー18世紀の福建省染付碗。
(2) ラーラ遺跡。アデンの郊外。ラヘジの北東に位置。灌漑用の溝が、丘を切って作られ、溝の壁面に日干レンガを積み上げた家壁が見える。16世紀中国染付。イエメン青釉陶器、青緑釉陶器、白濁釉陶器、黄釉陶器、青緑釉と黄釉の陶器、白濁釉上青彩陶器。
(3) ジャブリン遺跡。アデン郊外にありジャールの西側に位置。山裾に陶器片。水が流れた自然の小溝に土器を埋めたオーブンと石積み建物壁が見える。遺跡表面に土器が少ない。短期間だけ住んだ遺跡か。施釉陶器は9ー10世紀が主。イラクの青釉陶器、白釉陶器、ラスター彩陶器。現地産の可能性がある無釉土器。
(4) ハンハル遺跡。アデン郊外。町中の空き地で、土盛りがあり、遺物が混じる。16世紀の中国染付。
(5) アルカラウ遺跡。アデン郊外。1kmを越える広大な遺跡。20mほどの高さ。12世紀の白磁、13ー14世紀の青磁、16世紀の染付が一部で拾えるが、青磁だけの場所が多い。
(6) シェイカサーレム遺跡。14ー16世紀の遺跡。シェイカサーレム村の東側で、道路際、海まで2kmほど。平坦地のなかの小丘。漁村か。青磁と染付が主となる。
(7) アルアサラ遺跡。日干泥レンガの家壁が残る。表面の遺物は、17ー19世紀。ベトナム/中国染付、イエメン土器。イスラーム施釉陶器は少ない。
(8) アルハラバ遺跡。ワディアフワルの東側で海岸から4km離れた大遺跡。13ー15世紀の中国青磁。ただし、南側だけ中国染付があり、廃棄年代は16世紀。中国青磁の他は、イエメンの黄釉、緑釉、青釉下白盛り上げ、白釉上マンガン彩などの陶器。バングル。
(9) コルファル遺跡。アディスの近郊に位置。海岸の都市遺跡。表面採集品は、17ー19世紀。中国染付、イスラーム土器壺、イスラームガラスのバングル。
(10) アルハミ・アルフォギア遺跡。海岸に沿うアルハミの裏側にある。温泉が湧き、緑の野菜畑が広がり、椰子畑もある。崩れた日干レンガ建物が残る。一部の地域に14ー15世紀の中国青磁が見られるが、大部分の遺跡の表面には17ー19世紀の中国染付が散乱。(11) ヘィリッジ遺跡。サイフットの西、5kmに位置し、海岸とワディに沿う。ワディに近い部分から細長く西方に400mほど小台地が張り出す。中国染付16世紀が主。青磁や土器は僅か。イスラーム施釉陶器やガラス容器片も少ない。ガラスバングル少し。こうしたアデン湾岸に面する遺跡で採集した資料は、何を語るのか。気候風土が同じなら、特産品も同じで、そうした地域間の貿易は活発にならないという仮説を立てると、メソポタミアへ向かうペルシア湾、エジプトへ向かう紅海の違いの説明ができる。観察された陶磁器は、ペルシア湾岸と類似する広がりがオマーン湾岸で見られ、ペルシア湾岸とアデン湾岸の陶磁器は相違するものが多い。流通する地域圏の広さが推定できる。
(Ⅱ)アラブ首長国連邦
シャルジャ首長国〔ディバ地区〕
(1)アルハッサン遺跡。ワディ中央部で農耕地際に、多数の人工の丘が、海岸から1kmほど離れ、海抜8-10mのラインに沿って発見される。丘の平均的な高さは2-3m、直径は20-30mほど。30を越える数の丘が、1km以上にわたる長さの地域に点在。18世紀以降の陶磁器片がかなり容易に発見できる。初期イスラーム時代の破片は少ないが、12世紀後半の中国青磁碗1片、13世紀前半の中国青磁碗片1片、12-13世紀の多彩釉刻線文陶器1片を採集。
(2)ワディ・アルハッサン遺跡。海岸とワディに沿う平坦な部分に、小さな丘が一つある。陶磁器片と土器片を発見。石壁の痕跡が地表面に見られ、多くの珊瑚の塊と貝混じり石が地表面に掘り出されている。古い家が地下に埋もれていることを示す。14世紀前半の青磁針片と14世紀の青磁盤片を発見し、中世都市ディバが海岸に沿ってポルトガル砦付近からこの地域まで広がることを示す。
(3)アルガラビア遺跡。ワディの中に泥レンガ壁の痕跡が地表面に残る丘があり、施釉陶器と土器を採集。
〔コ-ル・ファッカン地区〕
(1)コ-ル・ファッカンの廃墟となった旧町跡遺跡。
(2)砦丘遺跡。急な丘が、港と廃墟となった古い町の間にそびえる。18-19世紀の陶磁器片が採集できる。17世紀以前の陶磁器が混じる。青色釉と灰色釉の陶器碗が散らばる。
〔カルバ地区〕
(1)アルカシミ家の古い家跡遺跡。アル・カシミ家の廃墟となった家が海岸に沿って、カルバ砦の向かいに位置する。
(2)スール・カルバ遺跡。ワディハミの南端と海岸に沿った場所に位置する。この地域には、地勢的・環境的に見て古いカルバの町が存在した。
(3)スール・カルバ西側のワディ内遺跡。スール・カルバ町の西側にあたるワディハミ内の紀元前の墓地群の近くで、スグラヒィアトを数片採集。
(4)カルバ農耕地域A丘遺跡。二つの丘が、100mほど離れてある。北丘は4mほの高さがあり、径40mほどの方形丘である。南丘は2.5mほどの高さで、径は15mほどである。無釉土器のクッキング・ポットや施釉陶器が丘上から出土。
(5)カルバ農耕地域B丘遺跡。二つの丘からなり、南北の丘は20m離れる。北丘は4.5mの高さで、径は40mである。南丘は高さ3.0m、径は30m。南丘で施釉陶器片が最近の地国陶磁器片とともに発見された。
(6)カルバ農耕地域F丘遺跡。10以上の丘が見られる。無釉の土器を主に採集。
(7)コール・カルバ砦遺跡。最近になって廃墟となった町の海岸に近い部分に位置する砦である。大きな方形の平面形をもち、角に四つの円形塔がある。19-20世紀ころの陶磁器片が大量に砦内の地表面に散乱している。
(8)コール・カルバ遺跡。古い小さな白いモスクがコール・カルバの港の近くにある。モスクの南西部、すなわち廃墟となったコール・カルバの町の南部に平坦な地が広がる。地表面は平坦で海抜7mである。18世紀以降の陶磁器が地表面に散乱し、青釉下黒彩陶器、刻線文土器、それに少数の中国染付がある。
(Ⅲ)オマーン国
(1)ソハール遺跡。ソハール城内の発掘はフランス隊が80年代に行ったが、その後、城壁の復元のために壁部分の発掘がオマーン人によってなされた。また、城の外の東側の町中で、いくつかのピットも開けられ、狭いけれども深く掘っているので、層位的に出土品が集められた。ササン朝の青釉陶器からメソポタミアの初期イスラーム陶器まで出土。その後のイランの施釉陶器、中国の青磁も多く見られる。
(2)カルハット遺跡。スールの西24kmに位置する小さな村の側に残る大きな都市遺跡である。14世紀から16世紀にかけての中国青磁、染付が表面に落ちている。
(3)アルバリッド遺跡。サラーラの海岸に広がる広大な中世都市遺跡。14世紀から17世紀の陶磁器が落ちている。中国の青磁や染付、ミャンマーの白釉陶器、数多くののイスラーム陶器が混じる。
(4)ウバル遺跡。アメリカ人Julis Zarinsが2回の発掘調査を実施。砂漠の中に築かれたイスラーム時代の砦の輪郭と内部の一部を発掘。石積壁で繋ぎは泥を用い、壁は非常に厚い。14-15世紀の中国青磁碗が出土している。
3.今後の計画
3回の遺跡踏査によって、今回計画した遺跡踏査と資料採集ができた。シャルジャ国内の紹介した遺跡は、いずれも新発見のものであり、その成果をシャルジャ国立博物館が地図に記入し、保存指定地域になった。オマーン国の紹介した遺跡は、すでに知られていた遺跡であり、年代や出土品の特徴を明確にすることが目的になった。アデン湾岸とシャルジャ国オマーン湾岸の遺跡踏査に関する概要は『ラーフィダーン』15、1994、アデン湾岸のヘィリッジ遺跡採集品の科学的分析は『金沢大学考古学紀要』22号、1995でふれた。今後、早い機会にすべての採集資料を研究し、英文で報告したい。調査研究を可能とした旅費と滞在費を助成された三菱財団により心より感謝。
アラビア半島の中世港湾都市遺跡出土品の調査研究
- 事業名称
- アラビア半島の中世港湾都市遺跡出土品の調査研究
- 実施地域・国
- 複数国/地域横断
- 地域
- 中東
- 文化遺産の分類
- 考古遺跡
- 事業実施機関
- 金沢大学文学部
- 期間
- 1993年 ~ 1995年
- 協力の種類・事業区分
- 学術調査・研究
- 資金源
- 民間財団