東南アジア的なるものの象徴としてのアンコール遺跡
アンコール遺跡は,カンボジア王国の伝統文化と国民統合の象徴であることはもちろんのこと,アジアの文化的至宝ともいうべき遺跡である。往時には,アンコール遺跡のひとつであるアンコール・トムは都城として生活の場であり,また他の多くの寺院は信仰の場であったが,実は現代でもこれらはカンボジア国民にとって同様の存在である。その自然や伝統とともに存在し生きる様は,まさにインドシナ,東南アジアの風土と歴史が生み出し,生き続ける特質であり,遺跡の有り様に深く刻まれている。現代の我々に多くのことを語りかけてくる。
国際協力の気運
しかし,1970年以降の内戦が泥沼化していく中で,徐々にアンコール地方にもその戦禍は及び,アンコール遺跡を含むこの地方は有形無形を問わず伝統文化の崩壊の危機に晒されたのである。長きに渡る混乱の後,1991年のパリ和平協定を経て,1992年アンコール遺跡のユネスコ世界文化遺産登録(同時に危機リストにも登録)が実現する。そしてその後の,息永く地道な活動となる社会復興のプロセスを国際協力として行うため,要務でありまた急務となったのは,国際的にも関心の高いアンコール遺跡救済と,そのための国際協調体制の構築であった。
日本政府はこうした状況を踏まえ,ユネスコ文化遺産保存日本信託基金によるプロジェクトを推進するために,1994年に日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA: Japanese Government Team for Safeguarding Angkor)結成に到った。