アルメニアの刺繍と絨毯の製作技術が守る染織文化遺産
アルメニア
アルメニア共和国は西にトルコ、北にグルジア、東にアゼルバイジャン、南にイランと接する南コーカサスに位置する内陸国で、1991年にソビエト連邦から独立した。アルメニア高地のアララト山はノアの箱舟の漂着地とする説で有名である。301年に世界で最初にキリスト教を国教と定め、アルメニア正教会は教義や建築において独自の発展を遂げ、その総本山であるエチミアジン・アルメニア正教会や周辺の7世紀の教会建築群は世界遺産に指定されている。その宝物館には精緻な刺繍を施した数多く精聖職衣が残され、キリスト教と刺繍が深く関わった染織文化の一端が見られる。
アルメニア歴史博物館における染織文化財の保存修復事業
首都エレヴァン市の共和国広場に面して建つアルメニア歴史博物館は石器時代から現代までのアルメニア史に関する展示がみられ、民族衣装と刺繍、そして絨毯の展示室がある。中世にモンゴル、トルコ、ペルシャに統治されていた影響で、服飾には左前に着装する丸首の蒙古服の影響やペルシャ的な捺染木綿が見られた。衣装を精緻な刺繍で装飾するのが特徴で、特に針に糸をかけて輪をつなぐジャニャックで製作する立体的な草花は特徴的である。絨毯もアルメニアの神話と宗教に関わる文様を織り込み、技術的に洗練された数々が見られた。考古染織遺物には紀元前3500年の革靴や毛織物類が出土しており、数点展示されていた。これらの保存修復に関わっているのはソ連時代に修復教育を受けた染織品保存修復士が1名とその指導下で絨毯の修復家が1名おり、基本的に刺繍と絨毯の製作技術で修復していた。ソ連時代以降知識を得る所がなくなり、実のところ、染織文化財としての民族服飾や絨毯の保存修復を行えるのはアルメニア全土でこの2名だけであった。歴史と伝統のあるアルメニアの染織文化遺産を継承してゆく上で、保存修復専門家の育成は急務である。