壁画地下墓保存修復研究の契機
レバノン共和国の首都ベイルートは中東の金融都市、中東のパリと称され讃えられていたが、1975年からの15年間の市民戦争、さらにリタニ川以南の南部レバノンの2000年まで続くイスラエルの占領によって国土は疲弊荒廃した。しかし、この戦乱終結後、全国的な社会インフラ整備の一環として国土を南北に貫く高速道路が計画された。レバノン政府は計画地の遺跡分布調査を日本に要請し、これに応じた日本西アジア考古学会は国士舘大学・松本健氏、同・辻村純代氏、奈良大学・泉拓良氏(現京都大学)を南部ティールに派遣した。現地踏査の結果、ティール市郊外のインターチェンジ計画地のラマリ地区に多数の墓地遺跡が所在することが判明し、計画路線は変更されることになった。
この分布調査を契機に泉・辻村両氏はラマリ地区の学術調査を2002 年に開始し、壁画地下墓TJ04の保存も課題であることから西山要一(保存科学)が参加した。調査が進むにつれラマリTJ04の墓室は大きな損傷を受けているものの側壁や天井の壁画が良好に残存することが明らかとなり、2004年からは保存修復を目的とする「レバノン共和国ティール市近郊所在の壁画地下墓の保存修復研究」を4年計画で開始した。2008年にはレバノン文化省考古総局長・ベイルート国立博物館長・在レバノン日本全権大使はじめ多くの来賓を迎えて完成式を挙行した。2009年には、壁画地下墓修復の2基目としてティール郊外ブルジュ・アル・シャマリ地区T.01遺跡の修復を4年計画で開始、現在継続中である。