事業の背景とこれまでの活動
2011年春に勃発したシリアにおける内戦から10年が経過した。シリア国内の文化遺産の被災は非常に深刻な状況にあるうえ,博物館や文化遺産に関わる専門家の多くがシリア国外に流出しており,国内で十分な専門的作業ができない状況が続いている。物資の多くも不足した状況にある。今回,保護の対象としたいのは,シリア北部のアイン・ダーラ遺跡である。ここは,アムーク平原の上流,アレッポの北にある遺跡であり,紀元前10世紀にさかのぼる鉄器時代シリア・ヒッタイトの神殿遺跡である。神殿は玄武岩製であり,その建造物の周囲に,ライオンやスフィンクスなど浮彫彫刻が彫られている。床には,石灰岩製の足跡も数多く残されている。ソロモン神殿はネブカドネザル2世によるエルサレム攻囲戦(紀元前587年)で破壊されてしまっており,紀元前1千年紀前半の東地中海沿岸に興隆した多様な神々の世界を表す神殿のうち,当時の様相を現代にまで伝えるのはこのアイン・ダーラ遺跡の神殿のみであり,考古学的にも歴史的にも非常に重要な遺跡といえる。
しかし,2018年1月に,トルコ空軍による空爆をうけ,遺跡の60%が破壊されてしまったと報告されている。その後,遺跡を象徴するライオンの彫像も2019年に盗難され,遺跡の保護が喫緊の課題となっている。アイン・ダーラ遺跡は,かつて1994年~1998年にかけて東京文化財研究所が住友財団の助成を受け,劣化した石材の保存修復事業を行った場所である。日本のプレゼンスが高く,ここで人材育成を主目的とする遺跡の保護活動を実施することは非常に意義が大きい。
実施する項目として,主たる活動は以下の3点である。
1) 被災文化遺産の記録と保護作業
2) 石造文化財の保存に関するオンラインによる人材育成
3) 人材育成・文化遺産保護の重要性を伝えるためのテキスト・教材作成
筑波大学では,2020年度から活動している「西アジア文明研究センター」を2021年度から大学の国際的研究拠点として位置づけ,中東地域を中心とする文化遺産の研究,保護活動に注力している。ここを中心として,アイン・ダーラ遺跡の保護活動を実施した。2022年6月現在,事業は継続中であるが,本稿では中間報告としてこれまでの活動内容をまとめる。